タンバリンについて


タンバリンは英語の聖書では次のような名称でも表されています

*Tabrets
*Timbrel
*Tambour
*Toph(ヘブル語)

タンバリンの定義

片面の打楽器。丸型、三日月形、長四角などの形のものがあります。片面、もしくは両面に膜が張られているものや、そうでないものもあります。緑にはリンリン鳴る金属性の円盤がついています。さまざまな方法で、振ったり叩いたりして演奏します。

目次

タンバリンに関する聖句

A. タンバリンは創造の日から使われてきました

“あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。”
エゼキエル書 28章13節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

B. タンバリンは神への賛美の楽器です

“歌う者が先に立ち、楽人があとになり、その間にタンバリンを鳴らしておとめらが行く。”
詩篇 68篇25節
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“声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。”
詩篇 81篇2節
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“踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。”
詩篇 149篇3節
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“タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。”
詩篇 150篇4節
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C. タンバリンは他の楽器とともに、主からの預言的な啓示ををもたらします。

“その後、ペリシテ人の守備隊のいる神のギブアに着きます。あなたがその町に入るとき、琴、タンバリン、笛、立琴を鳴らす者を先頭に、高き所から降りて来る預言者の一団に出会います。彼らは預言をしていますが、”
サムエル記 第一 10章5節
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D. タンバリンは主の喜びを表現する楽器として、踊りとともにしばしば用いられます。

“アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。”
出エジプト記 15章20節
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“エフタが、ミツパの自分の家に来たとき、なんと、自分の娘が、タンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子であって、エフタには彼女のほかに、男の子も女の子もなかった。”
士師記 11章34節
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“おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。”
エレミヤ書 31章4節
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“タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。”
詩篇 150篇4節
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E. タンバリンは敵に対する勝利を祝う楽器です。

“アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。”
出エジプト記 15章20節
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“ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。”
サムエル記 第一 18章6節
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“ダビデと全イスラエルは、歌を歌い、立琴、十弦の琴、タンバリン、シンバル、ラッパを鳴らして、神の前で力の限り喜び踊った。”
歴代誌 第一 13章8節
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“ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った。”
サムエル記 第二 6章5節
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F. タンバリンは地方的な祝祭において用いられる楽器です。

“なぜ、あなたは逃げ隠れて私のところをこっそり抜け出し、私に知らせなかったのか。私はタンバリンや立琴で喜び歌って、あなたを送り出したろうに。”
創世記 31章27節
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“彼らはタンバリンと立琴に合わせて歌い、笛の音で楽しむ。”
ヨブ記 21章12節
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“彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある。彼らは、主のみわざを見向きもせず、御手のなされたことを見もしない。”
イザヤ書 5章12節
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“陽気なタンバリンの音は終わり、はしゃぐ者の騒ぎもやみ、陽気な立琴の音も終わる。”
イザヤ書 24章8節
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G. タンバリンの調べは、敵を滅ぼすために神が用いる武器です。

“主がこれに下す懲らしめのむちのしなうごとに、タンバリンと立琴が鳴らされる。主は武器を振り動かして、これと戦う。”
イザヤ書 30章32節
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タンバリンの歴史

タンバリンは地球が創造される前から存在していました。エゼキエル 28:13bには、神がどのような祝福をも
ってルシファーを創造されたかが記述されています。

あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、
これらはあなたが造られた日に整えられていた。


その後タンバリンは、イスラエル、ギリシャ、エジプトの歴史によって明らかにされているように、さまざまな文化圏で使われるようになりました。ドイツ、スペイン、イタリア、アジア、イギリスの文化の中では、民族舞踊を盛り上げるために使われてきました。

タンバリンは打楽器に分類され、膜がある物やない物、片側に膜が張ってある物や両側に張ってある物
があり、それぞれ違った音がします。

タンバリンは笛やハープとともに、しばしば使われます。それは、これらの楽器は軽いので、演奏しながら
動き回ることができるからです。

象徴的な色

解釈聖句
琥珀色(こはくいろ)神の栄光エゼキエル 1:4
エゼキエル 8:2
赤(炎・緋色・深紅)血・命・罪の贖い・犠牲・焼き尽くす炎イザヤ 1:8
ヨシュア 2:18,21
レビ 14:52
青(ヒヤシンス)天・天的・聖霊・報酬・神の啓示出エジプト 24:10
民数 15:38
エゼキエル 1:26
新鮮さ・活動力・命・繁栄詩篇 92:12~14
詩篇 52:8
詩篇 37:35
王権・威厳・王位ヨハネ 19:2
士師 8:26
祝祭・勝利・光・純潔・正義・救い聖さ・栄光伝道者 9:8
ダニエル 7:9
ゼカリヤ 6:3
マタイ 17:2
ヨハネ 20:12
黙示録 6:2
黙示録 7:9
混じりけのないことば・純化された銀詩篇 12:6
タバナクル幕屋出エジプト 26:1

礼拝者とタンバリン

「あなたを礼拝します。あなたをあがめます。
私が生きているのは、あなたを礼拝するためです。」

A. 召命

私たちが創造されたのは、神と交わり、また神を礼拝するためです。私たちの召しは神がそれぞれに与えられた賜物によって異なり、また神への賛美を表現するために奏する楽器によっても異なるでしょう。
しかし、神が唯一求めておられるのは、聖別された、純粋な、聖い、義なる礼拝者なのです。

「..身をきよめよ。主の器をになう者たち。」(イザヤ 52:11b)

“そのとき、ダビデは言った。「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。主は、主の箱をかつがせ、とこしえまでも、ご自身に仕えさせるために、彼らを選ばれたからである。」”
歴代誌 第一 15章2節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会

私たちは召され、選ばれた今日のレビ人です。

“しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。”
ペテロの手紙 第一 2章9節
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神が私たちの賛美の中に住まわれることができるように、私たちには神のために自分を聖め、聖別することが求められています。賛美と礼拝は、時や場所を選ぶことなく、耐えず私たちからあふれ流れなければなりません。賛美と礼拝が私たちの生活そのものでなければならないのです。

B. 油注ぎ

楽器演奏者は聖霊の油注ぎのもとで奉仕すべきです。油注ぎによって束縛が打ち砕かれ(イザヤ 10:27)、解放と癒しがもたらされる(ルカ 4:18)からです。ダビデがサウル王の前で神を礼拝したとき、

「サウルは気を回復して、良くなり、悪い霊は彼から離れた。」(1サムエル 16:23)

私たちが神の臨在の中にいるとき、預言が生まれてきます。第Ⅱ列王記の中で、死に面していたたちは神の「御言葉」を必要としていました。しかし、預言者エリシャは彼らの罪深い反抗的な歩みに疲れ果てており、預言をする気持ちにはなれませんでした。それでも、エリシャはユダの王ヨシャパテに敬意を払い、「立琴をひく者をここに連れて来てください。」と伝えました。

「立琴をひく者が立琴をひき鳴らすと、主の手がエリシャの上に下り、」(1列王3:15)

神は戦いの指示を与え、非常に必要としていた雨をも降らせ、戦いを勝利に導かれました。それゆえ、今日においても、聖霊の力のもとで楽を奏でるときに、預言の霊が呼び醒まされるのです。

神の油注ぎの中にとどまるためには、私たちは決して自分に栄光や賛美を得ようと思い上がってはいけません。天で賛美を導く者として造られた天使ルシファーは主なる神のかわりに自分をあがめると言う罪を犯しました。次の箴言の言葉はルシファーの堕落を思い起こさせます。

「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」(箴言16:18)

質問:では私たちは人からの賞賛をどのように扱ったらよいのでしょうか?

質問

では私たちは人からの賞賛をどのように扱ったらよいのでしょうか?

答え

神は私たちをエペソ人への手紙 2:22で、「神の御住まい」と呼んでおられます。すばらしい作品を作られたことで賞賛を受けるのは、家(宮)そのものではなく、家を建てられた方なのです。

「家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受ける
のにふさわしいとされました。」(ヘブル 3:3)

私たちが主の働きをする時は、私たちを建てあげてくださった神に感謝し、次の聖句を覚えて神を賛
美しましょう。

「私たちを・・キリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。」(1コリント1:21)

神の油注ぎが賞賛を引き起こした事を認める謙遜な心を育成しましょう。そして一日の終わりにはひざ
まずき、神にすべての栄光をお返ししましょう。

「自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるでではなく、よその人によっ
て。」(箴言 27:2)

C. 態度

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報
いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」
(コロサイ 3:23, 24)

心の態度はよく顔の表情に現れます。礼拝者が神の臨在に入るとき、父なる全能の神に礼拝を捧げる
事と、交わる事だけを熱望すると言う正しい姿勢を持つことはとても大切です。

「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自
分自身が失格者になるようなことのないためです。」(1コリント9:27)

質問

では、たとえ自分が立ち向っている試練に打ち負かされそうなときでも、感情を表現しないで仮面をかぶり、良い人のように見せかけるべきなのでしょうか?

答え

いいえ、仮面をかぶってはいけません。重荷を主にゆだね、主の足元に置き、賛美の外套を着けて自制の実を働かせましょう。神がいつでも叫びを聞いてくださることを覚えて、状況に関わらず神を礼拝しましょう。

タンバリン演奏の基本テクニック

実際にタンバリン演奏のテクニックを取り扱う前に、熟練について聖書には何と書かれているかを考えなくてはなりません。聖書には、熟練するという意味でよく「達人」という言葉が使われています。ダビデはハープの達人でした(1サムエル 16:14~18)。それゆえ彼は、選ばれてサウル王に仕えることになったのです。羊飼いの少年ダビデは、何時間もハープを奏でながら主を礼拝していたに違いありません。


さらに、1歴代誌25:6には、ハマンの子達が父の指揮下で、シンバル、十弦の琴、竪琴を手に、神の宮で歌を歌って主に仕え、礼拝を捧げたと書かれています。

「彼らおよび主にささげる歌の訓練を受けた彼らの同族一彼らはみな達人であった。一の人数は二百
八十八人であった。」(1歴代誌 25:7)

タンバリンを習得するために指導を受ける者は、教えに素直に従い、忠実に練習に励まなくてはなりません。古い格言にあるように「練習すれば上手になる」のです。毎日の忠実な練習を主は祝福してくださいます。
そしてさらなる奉仕の扉を開いてくださるのです。

「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、
私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。」(1テモテ 1:12)

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、・・・。」(ルカ16:10)

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